隠れ念仏(かくれねんぶつ)とは、権力から禁止された浄土真宗(一向宗)の信仰を、権力の目から逃れて信仰すること。
加賀一向一揆や石山合戦の実情が伝えられると、一向宗が大名によって恐れられる勢力となった。南九州の薩摩藩・島津家も一向宗の信仰を危険視。信仰を厳しく禁じ、信仰する者は摘発された(以前から禁教の流れはあり、慶長2年、島津義弘によって正式に浄土真宗が禁止されると、以降明治9年に至るまで約300年間に渡って取り締まりが行われた。特に厳しい弾圧が行われたのは幕末期)。
このような弾圧の続くなか、信者たちは講(地域ごとの信仰者による集まり)を結成し、ひそかに深い山中や洞穴の中で「法座」と呼ばれる説法の集会を開き、信仰を存続した。多くは崩落などで消滅してしまったというが、現在も鹿児島、宮崎の各所に史跡は残存している。
作家の五木寛之氏は著作で「隠れ念仏」についてこう述べている。
『日本の歴史をふり返るとき、私たちはどうしても為政者の歴史だけを見てしまいがちです。しかし、極度の貧しさと苦しさのなかで、自らの命を犠牲にして信仰の仲間を守るとか、あくまで信仰を捨てずに殉教するというような、知られざる庶民の歴史もあるのです。それを日本人のこころの歴史の<記憶>として、大切に残していかなければいけないのではないでしょうか』
(五木寛之著「日本人のこころ 隠れ念仏と隠し念仏」から抜粋)
このページでは、鹿児島県にある隠れ念仏洞のうちの一つである「都迫(どんさこの)念仏かくれ窟」と、「花尾かくれ念仏洞」を写真でご紹介する。(写真をクリックすると拡大してご覧頂けます)
↑洞内は昼間でも真っ暗闇なので懐中電灯を持参しないと中には入れない。
入口部の傾斜はきつく、大人は身をかがめてやっと通れる広さ。
当時の民衆たちの真摯な思い、信仰の深さがうかがえる。
(一番奥の部屋の壁面にはゲジゲジ虫が多数張り付いていたので
虫嫌いの方は驚かないよう注意されたい)
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